計画通りにいくことはない。
かといって計画を立てないわけにはいかない。
今現在の自分が何をすべきかという判断の基準になるのが計画だからだ。
仕事をしていると緻密な計画を立てる人がいるが、どうも報われることは少ないようだ。というより、無駄なことに工数をかけすぎて生産性を阻害している。
業種にもよるのだが多くの場合、昨今の変化とスピードの激しい環境下では計画に工数を割くことは重視すべきでないだろう。ビジネス書などを読むと計画することの重要性が説かれていて、計画工数を削減することに罪悪を覚えるかもしれないが。
15:00までにオフィスに行かなければならないとしよう。
まずは電車を使って、どこの駅の何線に何時に乗るか、30分ほど余裕があるから喫茶店に寄っておこう、と計画を立てる。更に電車がトラブルでダイヤが乱れたときに備えて、別の路線を調べる。この場合は喫茶店をやめて何時の何線に乗って、どこの駅で乗り換えて、、、と計画する。
更に自然災害で電車が全て止まった場合に備えて、バスの路線を調べ、タクシーの運賃を調べ、、とここまで緻密な計画をしたところで顧客から「会議の場所を変更してくれ」と連絡がくる。念入りな計画は台無しだ。
計画通りに行かないことが多い環境下で計画に工数をかけすぎるのはリスクが大きい。
上記の例でいえばまずいつもの電車を使う基本計画を立てる、いざというときに別の路線、バス、タクシーというオプションがあることを調べておく。ここまででいいのだ。あとは計画通りに行かなくなる可能性を監視する。天候や交通情報、客先の状況から計画通りに行かなくなる可能性を感じたら、その段階でオプションの計画を詳細にする。
これは極端な例であったが、我々も普段ついつい過剰に計画しすぎてはいないか、振り替えってみてもいいかもしれない。
2011年1月29日土曜日
2010年9月9日木曜日
「楽しい」と「嬉しい」
まあ、言葉遊びのようなものかもしれないけれど。
以前、「楽しく仕事をするぞ!」といったニュアンスの社訓がある企業について触れて、何だかんだ言ったけれど、ぼく個人としても楽しく仕事が出来たら理想だとは思うのだ。
問題はそれで弱肉強食の市場経済に放り出されて生きていけますか?ということなのだ。
試しに「楽しい」ことを考えてみよう。
旅行、美味しい食べ物、お酒、テレビ、映画、ゲーム、スポーツ、etc....
何というか、内向きというか、これだけで完結しているというか、会社のビジョンの軸として据えるには何だか物足りない気がする。
これを「嬉しい」に置き換えてみるともう少しふさわしいものになる気がする。
役に立てて嬉しい、喜んでくれて嬉しい、楽しんでくれて嬉しい、勝てて嬉しい。。。
「嬉しい」には必ず相手がいる。
人間かもしれないし、動物かもしれないし、バーチャルかもしれないけれど、とにかく相手が必要なのだ。
だから「嬉しい」をビジョンの軸に据えるなら「喜んでもらうにはどうすればいいんだろう?」と次のステップに進めるんではないか。
なんてことを考えてみたり。。
以前、「楽しく仕事をするぞ!」といったニュアンスの社訓がある企業について触れて、何だかんだ言ったけれど、ぼく個人としても楽しく仕事が出来たら理想だとは思うのだ。
問題はそれで弱肉強食の市場経済に放り出されて生きていけますか?ということなのだ。
試しに「楽しい」ことを考えてみよう。
旅行、美味しい食べ物、お酒、テレビ、映画、ゲーム、スポーツ、etc....
何というか、内向きというか、これだけで完結しているというか、会社のビジョンの軸として据えるには何だか物足りない気がする。
これを「嬉しい」に置き換えてみるともう少しふさわしいものになる気がする。
役に立てて嬉しい、喜んでくれて嬉しい、楽しんでくれて嬉しい、勝てて嬉しい。。。
「嬉しい」には必ず相手がいる。
人間かもしれないし、動物かもしれないし、バーチャルかもしれないけれど、とにかく相手が必要なのだ。
だから「嬉しい」をビジョンの軸に据えるなら「喜んでもらうにはどうすればいいんだろう?」と次のステップに進めるんではないか。
なんてことを考えてみたり。。
2010年9月8日水曜日
楽しい仕事とは?
たまたま、いくつか地元の小さなIT系起業のWebサイトを見た。
もしかしたら同級生が社長だったりして!?なんて思いながら会社紹介を見てみると、まあ同級生はいなかったのだけど、「みんなが楽しく仕事が出来る環境を、、、」といった社是(?)を見かけるのだ。
それぞれ細かい文言は違うのだけど「楽しくやりたい!」ということを会社経営のビジョンとでも言うんだろうか、価値観の中心に据えているみたい。
分かる、よーく分かるよ、その気持ち。
創業者はみんな一介のSEだったんだろう。
訳の分からん仕様と過去の遺産(スパゲッティと呼ばれるソースコード群)と昼夜問わず格闘し、休日も当たり前のように出勤し、お客様からは出来上がった製品ではなく「よく燃えたけど、頑張ったね」と燃え尽きなかった点を褒められる。
日本のソフトハウスの価値は燃えて燃えて大炎上して、それでも燃え尽きない点にあるのだ。
品質なんてクソくらえ。どうせバグまみれだ。次のモデルでどこかの誰かが直してくれる。
そんな環境にいると、かつて初めてのプログラミングで画面にあらわれた「Hello,world」を見たときの感動を忘れている自分に気づく。
ああ、あの頃の気持ちに戻りたい!プログラムするのが楽しい日々に還りたい!!
そうやって我慢ならなくなって起業したのだろう、と思う。
でも業務内容を見てみると、やっぱりどこぞの請負をやっているんである。
創業したアナタは逃げたかもしれないけど、従業員はやっぱりつまんない事やってるんでは?
もちろん創業者は創業者で一介のSEの苦労からは逃れられたけれど、別の次元の苦労を味わっているのだろう。
楽しく仕事をやろうとするなら、楽しい仕事で収益が上がる事業を考えて、それを楽しいまま継続する仕組み(=利益を生み続ける仕組み)をつくらなくちゃいけない。
創業者が楽しくて、従業員も楽しくて、お客さんや銀行や投資家の期待に応えなきゃいけない。
それはとても難しいことだろう。
だらかこそ成功したヒトの取り分は大きい。
フェラーリ乗ってたり、全身グッチだったり、そんな悪趣味でもなんだか許せるでしょう。
そうでもないか。。
なんでこんなことを考えているかというと、かく言う私も
「楽しい仕事がしたい!!」
と最近強く思うからなのだ。
そしてそれが甘いことじゃないんだよ、ってことも認識しているつもりなのだ。
まあ、今のところは、タダの甘ったれなわけで。
ここから逆転、、、できたらいいな。。
もしかしたら同級生が社長だったりして!?なんて思いながら会社紹介を見てみると、まあ同級生はいなかったのだけど、「みんなが楽しく仕事が出来る環境を、、、」といった社是(?)を見かけるのだ。
それぞれ細かい文言は違うのだけど「楽しくやりたい!」ということを会社経営のビジョンとでも言うんだろうか、価値観の中心に据えているみたい。
分かる、よーく分かるよ、その気持ち。
創業者はみんな一介のSEだったんだろう。
訳の分からん仕様と過去の遺産(スパゲッティと呼ばれるソースコード群)と昼夜問わず格闘し、休日も当たり前のように出勤し、お客様からは出来上がった製品ではなく「よく燃えたけど、頑張ったね」と燃え尽きなかった点を褒められる。
日本のソフトハウスの価値は燃えて燃えて大炎上して、それでも燃え尽きない点にあるのだ。
品質なんてクソくらえ。どうせバグまみれだ。次のモデルでどこかの誰かが直してくれる。
そんな環境にいると、かつて初めてのプログラミングで画面にあらわれた「Hello,world」を見たときの感動を忘れている自分に気づく。
ああ、あの頃の気持ちに戻りたい!プログラムするのが楽しい日々に還りたい!!
そうやって我慢ならなくなって起業したのだろう、と思う。
でも業務内容を見てみると、やっぱりどこぞの請負をやっているんである。
創業したアナタは逃げたかもしれないけど、従業員はやっぱりつまんない事やってるんでは?
もちろん創業者は創業者で一介のSEの苦労からは逃れられたけれど、別の次元の苦労を味わっているのだろう。
楽しく仕事をやろうとするなら、楽しい仕事で収益が上がる事業を考えて、それを楽しいまま継続する仕組み(=利益を生み続ける仕組み)をつくらなくちゃいけない。
創業者が楽しくて、従業員も楽しくて、お客さんや銀行や投資家の期待に応えなきゃいけない。
それはとても難しいことだろう。
だらかこそ成功したヒトの取り分は大きい。
フェラーリ乗ってたり、全身グッチだったり、そんな悪趣味でもなんだか許せるでしょう。
そうでもないか。。
なんでこんなことを考えているかというと、かく言う私も
「楽しい仕事がしたい!!」
と最近強く思うからなのだ。
そしてそれが甘いことじゃないんだよ、ってことも認識しているつもりなのだ。
まあ、今のところは、タダの甘ったれなわけで。
ここから逆転、、、できたらいいな。。
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