「正しい日本語を話しなさい」とおじさんは言う(おじさんでなくても言うことがある)。
最近はあまり見ないが、新聞の投稿欄にはいる。
新聞の投稿欄にはなにか理解を超えた生態系が存在しているようだ。
彼らの言う正しい日本語とは何だろうか。
広辞苑に載っている日本語だろうか。
平安時代の日本語で話されたら、何を言っているのかさっぱり分からないだろう。
これは正しい日本語なのだろうか。
また、日本語は中国からの影響を強く受けている。
どこからが日本語でどこからが漢語なのだろう。
「正しい日本語」に漢語の影響を受けたコトバは含まれているのだろうか。
若者には若者が、女性には女性が、特定のカテゴリの技術者にはその分野の技術者がそれぞれ進化させてきたコトバがある。それは彼らの間でのコミュニケーションでは十分に機能するものであって、彼らの会話が理解できない場合、それは多くのとき理解する必要がないケースである。
女子高生が意味の分からんコトバで会話していても、それはおっさんのために話しているわけではないのだから問題ないのだ。
いざそんな若者や女性や技術者と会話しなければならない状況があったとしよう。
そこで彼らが意味の分からないコトバを使う。
これは多くの場合、彼らに非があるだろう。
でもそれは彼らが「正しくない日本語」を使っているからではない。
相手に応じたコトバを選ばないという、コミュニケーション能力の問題である。
コミュニケーションの問題を「日本語の乱れ」という誤った問題にすり替えてしまうことで、別に問題でもないことを問題として考えてしまうことになる。
それはとっても無駄な時間だし、コミュニケーションの問題という本当の問題の解決にはさっぱり役立たない。